ニュージーランドのロトルアにて 先ずは寝ぐらを見つけ、情報を集める事
10月7日、午後1時頃にロトルア( Rotorua )に到着。バスターミナルには、目立った建物など何もない。殺風景な町並みを、オークランド( Auckland )で仕入れた地図情報を元に、キャンプ場までテクテク歩いていく。
キャンプ場までは3キロあまり。30分も歩けばと軽く考えていたのだが、背中に半年分の重い荷物を背負い、片手には重い荷物の載ったハンドキャリー、もう片方の手にも衣服の入ったボストンをぶら下げている。とても重くて、両手が痺れるほど痛くて、身体は疲れ果てて汗まみれである。
一時間以上も掛かってやっとの事で到着したキャンプ場、ニュージーランド式に言うとモーターキャンプ( Motor Camp )は、湖の傍にあるとても良いロケーションだった。温泉のスバもあり、設備としても申し分ない。
料金はニュージーランド・ドルで一泊$8.50。当時は一ドルは70円程度だったから、日本円にすると600円足らずである。管理人に何処でも好きなところにテントを張って良いよと言われた俺は、きれいに刈り込まれた芝生の上に一人用のダンロップのテントを張った。
このテントは俺が北海道や東北の渓流を放浪している間中使い続けて来たものであり、そのコンパクトさと機能性には十分満足していた。
俺はその小さなテントを、茂みの横の開けた場所に張ったのである。他には誰も泊まっている人はいないらしく、辺りはがら空きだったからだ。
そして夕食も済ませてシャワーを浴び、夜の10時頃にはもう床に付いていた。事件はそんな時に起こった。夜の11時過ぎである。車が沢山止まる音とギャアギャアと騒がしい声が近付いて来たと思ったら、俺のテントの方に向かってきた。どうやらバスか何かで団体さんが来たようである。
しかし非常識にもその子供たち、たぶん小学生高学年くらいだと思うのだが、そいつらは俺のテントの周りで騒ぎ出し、フラッシュライトで照らしたり、「おい、こいつ、テント張っているぜ。テントだ、テントだ。」と大騒ぎを始めたのである。
引率の先生や他の保護者たちも傍にいたのだが、彼らは一向に諌めようとしないばかりか、そんな様子を笑って眺めている。全く何ていう迷惑で、非常識で、五月蝿くて、がさつで、阿呆で、低脳で、いけ好かない奴らかと思うと腹が立ったが、とりあえず怒鳴り込む事はしないで置いた。彼らが圧倒的に多数であり、そんな立場を利用している事を良く理解していたからである。
だから翌朝になって、そこの管理人に怒鳴り込んで置いた。「一体、どういう管理しているんだ?五月蝿くて一晩中眠れなかったじゃないか。何で団体がいて、五月蝿くなる筈だと知っていたのなら、そう教えるなり、適当に離れたロケーションを指示するなりしてくれなかったのか。」と
それに対する彼の答えは、ただ I`m so sorry を繰り返すだけだった。俺はそこのキャンプ場をとりあえず3泊予約してお金も既に払っていたのだったが、すぐにキャンセルしてお金を返してもらうと、すぐ隣向かいにある Cozy Motor Camp に移る事にした。
ここは名前そのままに居心地が良く、しかも管理人も親切だった。俺が彼に、「昨夜は散々な目に合わされたよ。五月蝿くて五月蝿くて、おまけにフラッシュライトまで照らされたんだぜ。失礼この上ない。」と愚痴ると、彼は驚く事に、「ありゃ、オーストラリアからの学生さ。全くひどいもんだろ。オージーってのはあんな奴らさ。同情するよ。こっちに移って来て正解だと思うよ。」と言ってくれた。
料金はどちらのキャンプ場も一緒だが、設備はこちらの方が更に整っていて、キャンプ場はおろか、オートキャンプ用の敷地もそれぞれ別に設けられており、その他にロッジやキャビンなどの施設もあった。
しかし俺は半年も釣り回るつもりだったから、できるだけ宿代は安く抑えたいと思っていた。飯さえ食えればキャンプでも死ぬ事はないという事を俺はこれまでの放浪の釣り旅で証明して来ていたし、俺がやりたい事は魚釣り、ただその事のみに焦点が当たっていたからだ。
俺はそのコージーキャンプ場をベースにして、先ずは必要な情報を集める事にした。先ず決めるべきは、どんな釣り旅のスタイルを俺が採るべきかという事だった。このキャンプ場まで歩いて来るだけでも、俺は疲れ切っていたし、この先歩いて回る事ができない事は確実だった。バスや鉄道も、交通機関の発達していないこの国ではあまり当てにはできないし、やはり車を使うのがベストだという結論に到った。
俺はキャンプ場でマウンテンバイクのレンタル自転車を借りると、それを使って片っ端からレンタカー屋を回って行く事にした。俺の下手な英語では電話でうまく会話ができないし、やはり顔を見て話をすると、相手も安心してくれるのだ。
しかしその俺のプランも、なかなか思うようには進まなかった。先ず自転車のタイヤが、途中でパンクした。それを持って、長い道のりをトボトボと歩いて自転車屋さんまで歩かねばならなかった。とても情けない、悲しい気分だった。
しかし、悪運があれば、必ず良運もあるものである。俺が見付けた自転車屋さんでレンタ・バイクがパンクした事情を話すと、彼は俺が何処に泊まっているのかを聞いてきた。俺がコージーだと言うと、「彼は俺の友達だよ。なら、料金は貰う訳にはいかないな。」そう言って、自転車のパンクを修理した上に、俺にもう一セット、パンク修理キットを持たせて寄越した。俺はとりあえずその間の事情を話すために、先ずはキャンプ場に戻る事にした。
キャンプ場に着くと、管理人にパンクしちゃったよと申し出た。良く見ると、タイヤのアチコチが擦り切れて、中からチューブがはみ出しているのが見える。これではパンクする訳だ。俺がその事を指摘すると、彼は「この前ドイツ人に貸した時、たぶんそいつが滅茶苦茶なライディングをしたんだな。」と言った。そしてその当日の料金は無料にしてくれた。
しかしその日の災難はこれだけでは済まなかった。俺はキャンプ用の調理器具として、オプチマスの No.00 という携帯用灯油ストーブを買って来ていた。そのテストをやってみようと思ってテントの傍で昼食のラーメンの調理を始めたところ、ストーブは火達磨になって燃え上がった。何か俺の取り扱い方が間違っていたのかと思い、何度もやり直してみたが、結果はいつも同じ、火達磨になるだけだった。
悩みに悩みぬいた挙句に俺が発見したもの、それはタンクの給油口の蝋付け、それが不完全で、そこから内圧とともに燃料が噴出しているという悲しい事実だった。昨夜もそうだったが、今日も厄日だ。このストーブは使い物にはならない。そんな感じで悩み抜いている俺を見付けた管理人が、寄って来てどうしたと尋ねたので俺が事情を話すと、彼はひょっとすると直してやれるかもしれないと言う。
喜び勇んで彼とともに色々と検分してみたが、彼の出した結論は、俺の手には負えないなというものだった。俺は尚も諦めず、何か充填剤やパテのようなもので、その隙間に詰め物をする工夫を思い付いた。
そして早速翌日、俺は再び自転車で街に出かけ、街中をじっくりと見て回った。バスターミナルに着いた時の印象とは違い、ロトルアは意外と大きな町だった。そしてバスターミナル前のラフト屋の中の一角に設けられている、ニュージーランド・レンタカーというのに料金を尋ねてみた。
しかしオーナーの彼は忙しい男らしく、なかなかつかまらなかった。仕方がないからあっちこっちで時間を潰し、ロトルアの街を現物して歩いた。
詰め物になりそうなパテを買って、とりあえばその日は帰還する事にした。レンタカー屋からは、また明日出直してくれと言われたからである。
そしてキャンプ場に帰って、すぐ傍の湖の流れ込みで釣りをしていた。しかし熱心な俺のキャストにも拘らず、当たり一つなかった。中々現実は厳しいようだったが、俺はまだ諦めてはいなかった。なにくそ、俺は夢を実現するんだ、そのためにニュージーランドまで来ているんだ、明日こそはやってやる。その意気込みで、俺は小さなテントの中の、狭い寝袋に潜り込んだ。
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